1. |
corn
11:10
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<3画面投影型テキストプロジェクションのテキスト>
I
画像
corn
とうもろこしを桂剥きにしたものを食った…
(ことがありますか?)⏎
(いたく感動するほど食べやすい!)⏎
経験が→
橙(だいだい)の相当な数の種を…
(うまく、というのか、一風変わった?というのか、)⏎
さささっ!と→
取ってしまう→
方法(の模索)を生んだ⏎
そう、もう一度言う…と→
とうもろこしを桂剥きにしたものを食った経験が
橙(だいだい)の(相当な数の)種を
さささっ!て取ってしまう方法を生んだ⏎
そんなお話し、あー、あ→
STAY TUNED→
あー、えー本日はご清聴ありがとうございます⏎
いや、技巧がどうこうって話じゃなくて→
なんというか、発想?
なんというか、発想?
なんというか、発想?
いや、思考かな?
いや、思考かな?
いや、思考かな?
もっと言えば思想?
もっと言えば思想?
もっと言えば思想?
いや、さすがにそこまで言うと…
妄想?
妄想?
妄想?
でもあえて言えば…
要は
必要
必要
必要
つまり、とうもろこしをがぶ!っといった時に→
歯の隙間に挟まるあれのあの感じ→
が、もう嫌だなって⏎
いや、でもさ、世界には→
そこをなんとかする方法?→
きっとあるよ⏎
っていう希望?
を持つ、っていうスピリット?
で、この世界に問う?
どうなんだ世界!
どうなんだ世界!
どうなんだ世界!
あれのあの感じ
なんとかならないの?
なるんじゃないの?
きっとその思考が後押しする
試行が錯誤したあげくに
「とうもろこしは桂剥ける」
っていう発想、が生まれ得る→
っていう希望、も得る→
なんてことはある⏎
というのは方法である→
というのが発想である→
と同時に希望でもある⏎
それは
可能だ
という
世界はある
そんなお話し、あー、あ→
cornからはじまる
思考は続く⏎
もっと言えばその必要があって→
それは→
紛れもなく今まさに⏎
はじまろうとしている…
画像1(橙1)
そんなある日、俺は…
画像2(橙1/2)
橙(だいだい)を切ってみたんだ
そしたら種だらけだった
画像3(橙種アップ)
あきらめるの?は簡単すぎる(自問自答)→
手でほじるの?は嫌だから全部捨ててしまえ(自暴自棄)→
そのまま食べたら健康に良いかも?(自己暗示)⏎
いや、私は切る
画像4(包丁をいれる)
画像5(包丁をいれる)
そして、切りとる
画像5(包丁をいれる)
画像5(包丁をいれる)
画像5(包丁をいれる)
画像5(包丁をいれる)
そして、剥く
皮を剥く
画像6
画像5(包丁をいれる)
ことで種を除け
実を得る
あぁ、そうか
そうだったんだ
そうそうそう
おもむろに
あるいは勝手に
私は
理解した
そうだ
これは
とうもろこしの桂剥きを知ったことで
わたしの発想が変化し
生まれた
橙(だいだい)の種を
さささっ!と
取ってしまう方法
学ぶとはそういうことだ
勝手に
やっちゃうんだ
絵手本にも同じ様なことが言えるだろう(か?)
絵手本の作者にとっては
そこに描かれた内容を描くことが
そもそもの目的ではなかった(はず?)→
描かれた内容を誰かが真似て描くこと→
そのことを通じて生まれる経験的な理解⏎
を経て、別の何かを生み出すこと
それが目的?
つまりさ
お手本は道なの(かもしれない)
道ってたどっていくと→
道の先へと通じていって→
どこか別の場所へ出るじゃない?⏎
それってとうもろこしを桂剥く時にも言えることで→
と言いつつ、はっきりとは言えないけど→
これは何かのPART1(だと思うんですよ)⏎
橙(だいだい)の種のことだけではない→
と言いつつ、はっきりとは言えないけど→
紛れもなくまだ終わってない感じがしているから→
そう、思考は続く→
THANKS FOR TUNING IN→
アー、アー、アー⏎
アーカイヴよ→
俺の話は→
お前となんらの関係もないかのようだ…
が⏎
どうだろう?→
アーカイヴよ→
お前は経験を残すことができるか?
お前は経験を生み出すことができるか?
お前は経験を伝えることができるか?
一人の人間のライフスパンを超えて?
いや、
わたしが問うているのは
アーカイヴではなく
もう少し還元された「記述」に対してか?
という気もする
どうだろう?
記述よ
お前は経験を残すことができるか?
お前は経験を生み出すことができるか?
お前は経験を伝えることができるか?
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2. |
発露/outpoured
04:24
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ん〜
あぁ〜
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3. |
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「何だ?続編」2022.06.23.
「何だ?」と共にわたしは生まれた。
いくら話しても話してもアクセスできない人がいる
この人は考えがないのだろうか?
いやそういうわけではない。
彼/彼女とわたしとは疑問を共有していないのだ。
あるいは両者には共有された疑問が無い。
そうするとこうなる。
お互いにとってメタフィジカルに相手は存在しない。
目に見えている=おそらくフィジカルに両者はどこかに存在している。
声も聞こえている=おそらくフィジカルに両者はどこかに存在している。
天気の話くらいならできる=おそらく同じ世界を幾分共有してもいる。
でも・・・本格的に人格的なアクセスはできない=おそらくメタフィジカルに両者はお互いの世界に存在しない(相当程度)。
これは両者の優劣じゃなくて違いに関しておこる現象であって、その根幹には両者の抱く「何だ?」の種類の相違があると思われる。
まず。
「ん?これ何だ?」とA事象に対して思ったときにわたしはA事象に対して生まれる。(ちなみに「あ~これね」と言う反応の場合はわたしには変化がなく何も生まれない、あるいはすでに生まれていただけの話。)それに対してA事象をスルーし「ん?これ何だ?」と思わなかった人がいたとすれば、その人はA事象に対しては生まれていない。だとすれば当然わたしはA事象に関してその人にアクセスできない、というか断絶があることは致し方ない。これが世に言う「考えれば考えるほど孤独になる」だ。Aと簡単に言ってのけたがもちろんAに近似したA1やA2’やAnというバリアントで微細な差異を考えると、「何だ?」はいつだって絶妙に入り組んだルートをたどり、後の祭り、そこは孤高なゾーンとなり、いやが応にもに到達してしまう袋小路。
正確には疑問を持てば持っただけ「わたし」が生まれ、生まれまくるのでその成長やら死やらその数だけ面倒見なくてはいけない。そう面倒なんだよ「何だ?」は。
マルチ「何だ?」によって複雑な存在となったわたしが理解される・理解することは実際上無理、に限りなく近い、が、それはたくさんの他者性への理解を示す可能性を示しているということは言える。これが世に言う「いろんな人のことを理解することはできてる気がするんだけど、理解されてる実感がほとんどない」だ。
それでいいではないか。
そもそも人類は断絶から生まれてくるんだから。つまり母体の中で細胞分裂によって形成されはじめたわたし以前が母体を離れというか、押し出されたり引き出されたりして、外界にカムアウトし大気に囲まれたその瞬間、完全にわたしへと生まれくるまさにその瞬間というのは、まぎれもなくあきらかに「断絶」だ。そうして、わたしは我に返ったというか我にはじめてなって、「ここはどこだ?わたしは誰だ?」という戸惑いの果てに、先程までわたしそのものであった母体であることは確かなのに初めて経験するその腕に抱かれて、「あ~そうかぁ…」と、自分存在そのものが他者性に立脚していたんだ、という事実についてもきっと泣き叫びその絶望か歓喜の声だかをあげ、人類はそれをわたしの「誕生」としてセレブレイトするわけだ。
そんな起源から生まれたわたしが抱く「何だ?」は本来的に他者性へのリアクションとのあわいに生まれる。「何だかな~」とか「何だって!?」とか「何だよ!」とか「何だ」のバリエーションは豊富にある。そこに共通するのは発言者の外にある何か、発言者にとってわからない何かであり、それは他者性そのものであり=その発見と出会いそしてコンタクトの中にこそ自己は創出されるのだ。
そう「何だ?」はわたしを相対的に産んだ。それでいいではないか。
そして「ヘー。そうなんだ」という認め合い(=愛)が、いま、わたしを育てている。
*ちなみにこれはプロジェクト『おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)』期間中に書かれ・発表されたテキスト「何だ?」の続編として書かれたものです。
以下、テキスト「何だ?」
2022年1月21日、わたしは『おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)』の解体を文字通り試みるために「何だ?」という言葉を眺め考えていて、ふと思った。こんなにシンプルに[言い得ない何か]を体現した「(日本語の)言葉」があるだろうか?わたしには「何だ?」という文字の連なりと記号は素晴らしいフォーミュラ(数式)に思える。
そもそも言語自体が[言い得ない何か]を共有するという、よく考えてみれば矛盾したような動機を、いや、むしろ無理難題を解決する方法への希求こそを、起源として生まれた、と考えることができるだろう(か?)。仕草とか簡単な音とか合図的な何かでコミュニケートしていたであろう人類(など)が、何かをそれ以上に伝えたい、あるいは理解されたい欲求か必要か動機があったのだ、と仮定させてください、とりあえず、いまだけで良いので。
「うぅうううう、えぇえええええっと。(言葉以前の世界を言葉では当然表せないとは思いつつもそれを試みています)あぁあああああ〜」という何か(=呼びかけ/call)が発せられた(たぶん)。そしてそれを聞いた誰か(がいなければ言語ではないとわたしは思う)が「うぅううううう、えぇええええっと、あぁあああああ〜」という何かの狭間に感じたそれ(=応答/レスポンス)こそ「何だ?」の原型だったのではないか、と想像する、そして紛れもなく疑問形であっただろうこの「何だ?」が発せられた時に言語は産声をあげた。(とわたしは思う)。言語はきっと伝達欲求の音的な発露に次ぐコミュニケーションしたのかディスコミュニケーションに終わったのかわからないという不確定な状態から出発したはずだ。そしてこのコールからのレスポンス、というか原初的な「何だ?」の絡まり合いといったら、あぁ、これこそがリアリティ。その美しさといったらない。「願い」は叶わぬことで「願い」であり続ける、的な。始まりに「断絶」があった(かもしれない)、的な。あまりに切ない、妄想に近い? 言語的コミュニケーションの起源に関する想像を前提に、仮に、したとすると、発せられる言葉自体には意味がない=理解できない、としても、なんと、経験はできる(少なくとも音的に)。わからないことでも経験は出来る・・・聴き・想像することにこそ、あの「断絶」(の可能性をすくなくとも大いに含むやりとり)が人類にとっては壮大な旅の始まりにすぎなかった、と言える可能性があるようにおもう。
わたし(だけではないけど)は、よく英語で、とか日本語でとか、字源的なことや語源的なことを引き合いに何かの考えをすすめることがよくある。多言語による考察は、何かを言い表そう、その意味を捉えようとしたときに、これまで人類がいかに「それ」の周囲にある断絶を乗り越えて漸近しようとしてきたのか、という足跡をたどるような行為かもしれない。または、何かイメージしている色があったとして、10色ペンだったものを15色とか30色にするみたいなものだと考えればいい(のか?)。その勢いで100色、いや1万色?くらいあれば「橙グリーングレー気味の赤」みたいな謎な色のペンがあるかもしれないし、さすがに混ぜないと無理か・・・という複雑怪奇かつ出番のめったになさそうな色でも、すでに細分化された色を混交させることで近づくことができるかもしれない(あるいはそういう類の幻想を持つことはできる・・・)。そういった努力を繰り返しながら、旅は続く、あともう少しで「コミュニケート」できるんではないか?という淡い期待に動かされて、より細かく・詳細に・そして創造的に言葉を繰り出していくとき、ニッチな言葉や複数言語を織り交ぜた造語?みたいなものが生まれてくる(だろうか?)。細分化され専門化された色合いや意図やニュアンスはより正確・明確・鋭角になる。と、同時におそらく一般的に共有されている「こういうことだよね」という大きな場所からはどんどん離れていく道を、さらに逸れていき「ついてきてしまった」誰かをどこかへしっかり導くよりもむしろより複雑な混乱へと放り出すことになる小道・・・へと誘いかねない、といった結果を招くことに最適化されていき、その果てしない旅路の先にきっと「おかえり」と言って、にこやかに再び迎えてくれるのが、あのはじまりの「何だ?」なのかもしれない。
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4. |
意図を縫う針/ITO-HARI
12:58
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糸を縫う針
という言葉が口をついて出た。
「いや、だから、例えば・・・糸を縫う針」
みたいな?
感じで思いついた?
伝えようとした
のは、ある種の「不可能性」か?
いや、でもそのさ
糸を縫う針
なんてものはないの?
でしょうか?
「糸が細いとは限らんでしょうな」
的な、とんち系の転回?
は、あるかも、しれない?
ナノ針みたいな?最先端技術系?
の、ソリューションさえ荒唐無稽?
だ、とは言えない?
今の時代?
糸を縫う針⇒いとをぬうはり⇒意図を縫う針
という読み替えは見当違い?
いやそんなことじゃない、
これは茶番ではない
糸、を、縫う、針、
いたって、聞き、取り、やすい
はい、はい、はい、
と、聞き流してしまいそうなくらい
に、スムーズな音階
その響き
の、familiality(*親しみ)
と、あくまでも自然な連なりに、
物理的な不可能性
(だと思われる何か)
を、いともたやすく
さらりとかわす
糸を縫う針のごとく・・・
いつのまにか高度を下げる
エンジンをもたぬ
一機のエアープレイン
は、音も立てず
cruisin’ & groovin’
糸を縫う針のごとく・・・
phaseからphaseへと広がる水面
掻き分け進むこのテキストの
刻むその航路
は、エフェメラルな
空の轍
糸を縫う針のごとく・・・
結論は先送り
垣間見えるのはただの動き
かなり
アーカイヴには捉え難き
問いに問いかける、
空の空
いっさいは空?
で、割愛される?
と、軌跡はない?
予定通りに調和されはしない
じゃあパフォーマンスとは定義できない?
そうは言ってもパフォーマンスではないとも言い切れない?
としたら、何だ?
と、逆照射
する、複数の意図が交差
し、プレイする果てに、
それぞれがノブを捻るEQ
高音域
中音域
低音域
少しずつずらし
ピントを合わし
見えない音像を捉えようとし
版を重ね
ながら、そもそも何にフォーカスするのかね?
と、さらに絞り疑う
ことを繰り返し
振り出しに戻し
留保する
のは、牛歩する
ある種の戦術でもある
断定を避ける
ことで、自らを開き続ける
ことで生まれ得る
メビウスの輪
的な、この種の円環は
ぐるぐると反芻
する、うちに、傾く
ただただ
想像は
可能だ
そうだ
それは
ありそうだ
と、(おそらく)
万感の想いを
込めた
ラスト・フライト
を、君は見たんじゃないか?
あるいはその響きを
どこかで聴いた
の、だろうか?
おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)
と、ある朱に染まった
意図を
問う
間に
🛩(エアプレーン)
は
むしろ
逆(説)に飛ぶ?
の、だろうか?
と、想い巡らしながら
アイデアや理解なんてものは
いつも遅れてやってくるんだ
と、つぶやきながら
三月をむかえる、今
また
アップデート
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5. |
mamoru Izu, Japan
First and foremost, I am a seeker of a way of listening
live play surf this
world
started playing keyboard instruments as a kid, tried to be a Jazz musician, learned about improvisation, turned into a sound artist and now making projects mostly in contemporary art field
means of embodiment of my search
sound/music
text
lecture performance
video
installation
etc
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