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世​界​マ​イ​ナ​ス​A​/​This World takeaway A

from 発​露​/​outpoured by emamor(FKA mamoru)

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about

ランダムに絡むクリック音だけかと思いきや、突如レイヤーされるシンプルなビートとフレーズのループによって構成された「思索のためのトラック」。時間があればlyricsに掲載したテキストを読んだりしてみてください。長いけどね。

The track was made while archiving the project "THIS probably IS NOT AN EXHIBITION(then otherwise what?)". Random clicks, simple beats and phrases creates loops for "deep thinking". maybe?

lyrics

「何だ?続編」2022.06.23.

「何だ?」と共にわたしは生まれた。

いくら話しても話してもアクセスできない人がいる
この人は考えがないのだろうか?

いやそういうわけではない。

彼/彼女とわたしとは疑問を共有していないのだ。
あるいは両者には共有された疑問が無い。

そうするとこうなる。
お互いにとってメタフィジカルに相手は存在しない。
目に見えている=おそらくフィジカルに両者はどこかに存在している。
声も聞こえている=おそらくフィジカルに両者はどこかに存在している。
天気の話くらいならできる=おそらく同じ世界を幾分共有してもいる。
でも・・・本格的に人格的なアクセスはできない=おそらくメタフィジカルに両者はお互いの世界に存在しない(相当程度)。

これは両者の優劣じゃなくて違いに関しておこる現象であって、その根幹には両者の抱く「何だ?」の種類の相違があると思われる。

まず。

「ん?これ何だ?」とA事象に対して思ったときにわたしはA事象に対して生まれる。(ちなみに「あ~これね」と言う反応の場合はわたしには変化がなく何も生まれない、あるいはすでに生まれていただけの話。)それに対してA事象をスルーし「ん?これ何だ?」と思わなかった人がいたとすれば、その人はA事象に対しては生まれていない。だとすれば当然わたしはA事象に関してその人にアクセスできない、というか断絶があることは致し方ない。これが世に言う「考えれば考えるほど孤独になる」だ。Aと簡単に言ってのけたがもちろんAに近似したA1やA2’やAnというバリアントで微細な差異を考えると、「何だ?」はいつだって絶妙に入り組んだルートをたどり、後の祭り、そこは孤高なゾーンとなり、いやが応にもに到達してしまう袋小路。

正確には疑問を持てば持っただけ「わたし」が生まれ、生まれまくるのでその成長やら死やらその数だけ面倒見なくてはいけない。そう面倒なんだよ「何だ?」は。

マルチ「何だ?」によって複雑な存在となったわたしが理解される・理解することは実際上無理、に限りなく近い、が、それはたくさんの他者性への理解を示す可能性を示しているということは言える。これが世に言う「いろんな人のことを理解することはできてる気がするんだけど、理解されてる実感がほとんどない」だ。

それでいいではないか。

そもそも人類は断絶から生まれてくるんだから。つまり母体の中で細胞分裂によって形成されはじめたわたし以前が母体を離れというか、押し出されたり引き出されたりして、外界にカムアウトし大気に囲まれたその瞬間、完全にわたしへと生まれくるまさにその瞬間というのは、まぎれもなくあきらかに「断絶」だ。そうして、わたしは我に返ったというか我にはじめてなって、「ここはどこだ?わたしは誰だ?」という戸惑いの果てに、先程までわたしそのものであった母体であることは確かなのに初めて経験するその腕に抱かれて、「あ~そうかぁ…」と、自分存在そのものが他者性に立脚していたんだ、という事実についてもきっと泣き叫びその絶望か歓喜の声だかをあげ、人類はそれをわたしの「誕生」としてセレブレイトするわけだ。

そんな起源から生まれたわたしが抱く「何だ?」は本来的に他者性へのリアクションとのあわいに生まれる。「何だかな~」とか「何だって!?」とか「何だよ!」とか「何だ」のバリエーションは豊富にある。そこに共通するのは発言者の外にある何か、発言者にとってわからない何かであり、それは他者性そのものであり=その発見と出会いそしてコンタクトの中にこそ自己は創出されるのだ。

そう「何だ?」はわたしを相対的に産んだ。それでいいではないか。
そして「ヘー。そうなんだ」という認め合い(=愛)が、いま、わたしを育てている。

*ちなみにこれはプロジェクト『おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)』期間中に書かれ・発表されたテキスト「何だ?」の続編として書かれたものです。

以下、テキスト「何だ?」
2022年1月21日、わたしは『おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)』の解体を文字通り試みるために「何だ?」という言葉を眺め考えていて、ふと思った。こんなにシンプルに[言い得ない何か]を体現した「(日本語の)言葉」があるだろうか?わたしには「何だ?」という文字の連なりと記号は素晴らしいフォーミュラ(数式)に思える。

そもそも言語自体が[言い得ない何か]を共有するという、よく考えてみれば矛盾したような動機を、いや、むしろ無理難題を解決する方法への希求こそを、起源として生まれた、と考えることができるだろう(か?)。仕草とか簡単な音とか合図的な何かでコミュニケートしていたであろう人類(など)が、何かをそれ以上に伝えたい、あるいは理解されたい欲求か必要か動機があったのだ、と仮定させてください、とりあえず、いまだけで良いので。

「うぅうううう、えぇえええええっと。(言葉以前の世界を言葉では当然表せないとは思いつつもそれを試みています)あぁあああああ〜」という何か(=呼びかけ/call)が発せられた(たぶん)。そしてそれを聞いた誰か(がいなければ言語ではないとわたしは思う)が「うぅううううう、えぇええええっと、あぁあああああ〜」という何かの狭間に感じたそれ(=応答/レスポンス)こそ「何だ?」の原型だったのではないか、と想像する、そして紛れもなく疑問形であっただろうこの「何だ?」が発せられた時に言語は産声をあげた。(とわたしは思う)。言語はきっと伝達欲求の音的な発露に次ぐコミュニケーションしたのかディスコミュニケーションに終わったのかわからないという不確定な状態から出発したはずだ。そしてこのコールからのレスポンス、というか原初的な「何だ?」の絡まり合いといったら、あぁ、これこそがリアリティ。その美しさといったらない。「願い」は叶わぬことで「願い」であり続ける、的な。始まりに「断絶」があった(かもしれない)、的な。あまりに切ない、妄想に近い? 言語的コミュニケーションの起源に関する想像を前提に、仮に、したとすると、発せられる言葉自体には意味がない=理解できない、としても、なんと、経験はできる(少なくとも音的に)。わからないことでも経験は出来る・・・聴き・想像することにこそ、あの「断絶」(の可能性をすくなくとも大いに含むやりとり)が人類にとっては壮大な旅の始まりにすぎなかった、と言える可能性があるようにおもう。

わたし(だけではないけど)は、よく英語で、とか日本語でとか、字源的なことや語源的なことを引き合いに何かの考えをすすめることがよくある。多言語による考察は、何かを言い表そう、その意味を捉えようとしたときに、これまで人類がいかに「それ」の周囲にある断絶を乗り越えて漸近しようとしてきたのか、という足跡をたどるような行為かもしれない。または、何かイメージしている色があったとして、10色ペンだったものを15色とか30色にするみたいなものだと考えればいい(のか?)。その勢いで100色、いや1万色?くらいあれば「橙グリーングレー気味の赤」みたいな謎な色のペンがあるかもしれないし、さすがに混ぜないと無理か・・・という複雑怪奇かつ出番のめったになさそうな色でも、すでに細分化された色を混交させることで近づくことができるかもしれない(あるいはそういう類の幻想を持つことはできる・・・)。そういった努力を繰り返しながら、旅は続く、あともう少しで「コミュニケート」できるんではないか?という淡い期待に動かされて、より細かく・詳細に・そして創造的に言葉を繰り出していくとき、ニッチな言葉や複数言語を織り交ぜた造語?みたいなものが生まれてくる(だろうか?)。細分化され専門化された色合いや意図やニュアンスはより正確・明確・鋭角になる。と、同時におそらく一般的に共有されている「こういうことだよね」という大きな場所からはどんどん離れていく道を、さらに逸れていき「ついてきてしまった」誰かをどこかへしっかり導くよりもむしろより複雑な混乱へと放り出すことになる小道・・・へと誘いかねない、といった結果を招くことに最適化されていき、その果てしない旅路の先にきっと「おかえり」と言って、にこやかに再び迎えてくれるのが、あのはじまりの「何だ?」なのかもしれない。

credits

from 発​露​/​outpoured, track released October 14, 2022
music: emamor(FKA mamoru)

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about

mamoru Izu, Japan

First and foremost, I am a seeker of a way of listening

live play surf this world

started playing keyboard instruments as a kid, tried to be a Jazz musician, learned about improvisation, turned into a sound artist and now making projects mostly in contemporary art field

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